追体験、記憶の隅っこ、演戯

過去の繋がりを顧みる。

求める。

追憶を巡らすのは何故だろう。

そこに幸せな思い出があったからか、はては自身の人生の後悔が、あったはずの分岐点がそこあるからなのか。いや、両者はどちらも的を射ているようで少しずつ違う。

きっと私が過去へ逃避するのは、記憶の追体験を経て、現在地点を知ろうとしているからだ。

あの時よりも成長した、あの時よりも上手くやれる、あの時より、あのときより、あのときより

その思考に助けられることもあれば自身の幼さに苛まれることもある、それもまた過去になり記憶になり思い出になる。そしてまた私の足踏みにされるのだ。

人は他人の繋がりを以って生きているという。確かに人は一人では生きられない。私がよく知っているこの世の真理だ。ただその道理には、血の繋がっていない他人に限らず、昨日までの自分、という、意識の向こう側に置いてきた残滓をも含むらしい。

そして、それ足踏みにして、私はまた前に進む。

ただ、歩幅が大きければ大きいほど、それは後悔を助長する。今ならもっと上手くやれる。と言ったところで過ぎたことを改変できない。できやしない。

しかし、その要因が人なら、まだ生きている人ならー。過去は変えられずとも未来にまた交わることはできる。

そう思い立ち、連絡先を辿り、一縷の光を見つけた私は、先日の失恋からは想像もつかないような笑顔を溢れさせた。さながら小学生のように胸が高鳴り、そっと文書を送った。

葛藤も苦悩もすべて、あの遠い夏の日に戻れたら、君に何を話そう。頭を白銀の世界がよぎった。淡い記憶がちらつく。支離滅裂なようで私の中の頭では確かに繋がっていた。煌と輝く日の欠片が、彼女の名前とともに蘇る。

タイムスリップみたいだ。

彼女の返信はともかく、たまには過去にとりつくのも、よい。そういって私はそっと目を瞑るのだ。

追体験、記憶の隅っこ、演戯